買ってよかった「Galaxy Note 8」
今週のお題「今年買ってよかったもの」
僕が今年買ってよかったなと感じているのはGalaxy Note 8 になるかなあ。
実は割と前に「今週のお題」を見つけたのに、特に買ってよかったものがなかったんだよね。
そんな時にスマホ買い替えのチャンス到来で、ついに3年ほど使い続けたXPERIAからGalaxyに変えました。🤣
Galaxyシリーズはかなり前にGalaxyS3を使って以来なのでかなり新鮮。
知らないうちに使いやすくなってるもんだね。
前は有機ELも粗かったりすぐ焼き付いてしまったりした記憶があるから、今回はそうならないように気をつけないと。🙄
Sペンって便利だ。
スマホにペンって必要なの?とか思ってたんだけど、あると便利だね。
書く・描く以外にも細かいところをペンで選択したり、Sペンがあるからできる機能なんかもあるよね。
ブログに絵を使ったりしてるから、これからはそっちも捗るかも。
専用のペンがあるっていうのは、普通のタッチペンに比べてもかなり大きなメリットだと感じる。
Sペンなら反応するけど、指は反応しませんよっていう状態だとそれを実感。かなり便利。
まあ使わなくてもなんとかなるというか、無くても困らないとは思う。でもあったら便利なのは間違いないなあ。
エッジって必要なのかな。
Galaxyが他のスマホと違うのは、やっぱりエッジだよね。
ディスプレイの両端が曲がってるの。
これ正直保護フィルム貼るときにすごく苦労した。
貼りにくいなんてもんじゃなくて、よくこんな形にしたな……とすら思った。
で、肝心のエッジを使ってるかどうかなんだけど、僕はあまり使ってないんだよね。
たしかに面白い要素だと思うし、エッジからすぐに色々なことができてアクセスも良さそう。
でも僕はホーム画面を基本のポジションにしてて、何をするにもホームに戻ればすぐアプリを開けるっていう状態なんだよね。
だからあまり有り難みを感じてないかな。
あっても気にはならないけど、ページによっては文字が曲がったりすることもあるから、そこは注意だね。
カメラには大満足!😆
Galaxy Note 8はデュアルカメラとかいうよくわからない仕組みなんだけど、どうやら2つのカメラを組み合わせて綺麗に写真を撮ってやろうみたいなことらしい。
僕は外出すると頻繁にカメラ使うんだよね。
その場の記録というか、写真とか動画で思い出を残しておきたいっていう気持ちがあるから。
そういうわけで、綺麗に写真が撮れるっていうのはすごい魅力だった。
まだまだ持て余してる感じがあるけど、自動モードでも満足できるレベルの写真が撮れるから大助かり。😳
ガラケーの時代はやたら大きなレンズのケータイとか出してたよね。あれってもしかして時代の先取りみたいなことだったのかな。
まだ当時の僕は写真なんて撮らなかったし、あまり興味もなかったなあ。
見た目や外身の話。
まず目につくのは大きな縦長の画面だよね。
標準的なディスプレイより縦に長くて上下の情報量が増えたなって感じる。
この大きさだと、漫画とか小説を読むときは少し物足りないというか、余白がもったいなく感じる時もあるんだよね。
反対に、映画を見るときは画面を大きく使えてすごくイイ。😳
指紋センサーの位置はどうだろう?
手が大きいから割と不自由してないけど、カメラの真横だからね……、間違えてカメラを触っちゃうことも結構あるって感じ。
親指で画面触って指紋認証できたら最高なのにね。そうなったらなんだかとっても未来チックだ。😆
スピーカーはモノラルで、XPERIAがステレオで前面配置だったせいもあって少し物足りなく感じるかな。
下部に配置されてるから指で塞がったりする。
でも悪いってわけじゃないと思う。
片手使いは諦めた!ノートって名前にあるし、両手で使うことにした!🤣
あと、重さはかなりあるから実際に持って確かめてみるといいかも。
寝ながらスマホなんてしてたら顔を怪我しそうで怖いね。
買ってよかった!😄
いろいろ書いたけど、とにかく買ってよかった。
機能にも満足してるし、嫌なところは特に無い。
とにかく自分好みのスマホにできるっていうのがAndroidの良いところだなと改めて思った。
韓国メーカーのスマホだから嫌なイメージもあるかもしれないけど、モノは良いから一度くらい試してみてほしいな。
あ、あと個人的なことなんだけど、今回僕はau版を選んだ。
その理由としては、au版は絵文字がGoogleのものに統一されているから。
こういうやつ↓
確かドコモだとドコモ絵文字というのが入っているんだよね?
それが嫌というか、不揃いなのは気になるだろうなあとわかっていたので、あえてauにした。
それに家の環境だとどうもauのがお得みたいだったしね。
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
紅葉、一番近くの秋の色。
今年もこの色を見ることができた。
ずっと庭にある古い紅葉の木。
町内でも珍しいんじゃないかな、こんなにきれいな色。
近所の人が家の前を通るたびにきれいきれいと言ってくれる。
実はこれでも一番きれいな日から2日後の写真なんだ。
なんだかすごく秋っぽい。
毎年見てるけど、小さい頃は気付かなかったな、こんなの。
感性も変化してるのかな。
大人になってるってことかもしれないね。
下から見上げると、空が紅くなったみたいだよ。
風で揺れて、たまにひらひらと葉っぱが舞ってる。
この日の天気は曇りだったけど、それでもすごくきれいな世界だった。
もうすぐ散ってしまうのが残念。
来年もまた見られるのかな……。
見られたらいいな。
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
終わりを予感すると、自分の努力が無駄に思えちゃうんだ。
もうダメだと感じたとき。
もうダメだと感じたとき、皆あるんじゃないかな。
もしかしたら、そんなこと一度も無いぞ!って人が居るかもしれないね。
でもきっとたくさんの人が、僕と同じように「もうダメだ……」と、感じたことがあると思うんだ。
「あともう少しなのに……」「あんなことしてなければ……」「こうしていれば今頃は……」「残り時間はそれだけなの?」そんな風に思ったこと、きっとある。
試験で解答時間が足りないとか、夢を諦めざるを得ないとか、目標が達成できないと悟ったら……。
考えただけで怖くなっちゃうね。
今までの努力はなんだったの?
こんなふうに思ってしまう人もたくさんいるんじゃないかな、少なくとも僕はこうやって考えてるんだ。
「やっぱりダメなんだ、今まで頑張ってきたのに全部無駄だったんだ……」心が折れるってのは、こういうことを言うのかな?
終わりが見えてしまったり、望まぬ結果になってしまうことを予感すると、今日までの自分を無意味なものに感じちゃう。あの日あの瞬間の自分が滑稽に思えてくる。
だってそうでしょ?頑張ったのに報われないんだよ?結果に何も残らないんだよ?
形のある何かを手に入れて、努力を証明したかったのに……、支えてくれた人に笑顔になってもらいたかったのに……ね。
結果は最後までわからない!けど……。
もちろんどうなるかなんて、なってからしか確かなことはわからないよね。もしかしたら未来の自分は喜んでるかもしれない。
その喜ぶ自分を作るために、最後まで頑張るのが強い人なのかもしれない。正しい姿なのかもしれない。きっとそうなんだよ。
けどさ、ダメな自分を悟ったときって、心がすごく弱ってるんだよね。努力をすべて否定された気になってしまうんだ。
そんなときに頑張れる人、体が動き続ける人……一体どれくらい居るのかな。
頭の中には「こんなとこで立ち止まるな!」「最後まで諦めるな!」そう思いたい自分が居る。でもどこかで諦めてるんだ。
どうせ無理なんだよって、自分の未来を自分で潰してしまうんだ。
書いてるだけで怖くなってきた。それがわかっててなんで動けないんだろうね。
努力を否定されるのは怖い。
「僕は精一杯やったんだ。最後まで走り切ったよ、でもダメだったんだ。だからしょうがないじゃないか。よくやったよ、自分」こんな人本当に居るの?
絶対にどこかで後悔する自分が居るはずだよ。そうでなければ、無理矢理後悔する気持ちを忘れようとしてるだけだよ。
精一杯やってもダメだった→僕には不可能で、最初から無理だった。
こうなってしまうのが僕は嫌なんだ。ダメな自分を認めないといけないんだ。
諦めてしまった自分は情けなくて、弱虫で、臆病で、どうしようもない奴だよ。
でも、全力を出し切ってできなかった自分はどうだろう。
心のなかではそのほうがマシだとは感じてる。けど、きっと、不可能を認めてしまうのはとても勇気がいることだよね……。
死ぬときに後悔するだろうか。
僕が死ぬとき、僕は自分の人生を悔いるのかな。
僕が死ぬとき、僕は自分の人生に胸を張れるのかな。
やっぱりそんなのは、そのときにならないとわからない。
でもだからこそ、後悔のないように生きたいと思うんだ。
ダメな自分をわかってる。どこかで変えたいんだ……。
本当の終わりが来たときは、先の心配が要らないから、後悔とか失意を感じないかもしれないね。
逆に、通過点で失敗するほうが怖いのかもしれないね。
未来を想像する……その未来が暗いんだ。だからこそ、失敗を恐れるのかな。だからこそ、不可能を認めたくないのかな。
(こんなこと書いてると、じゃあ死んだらいいのではないか?とか考えちゃうよ。精神衛生上良くないや。気をつけよう。)
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
他人への期待で自分が苦しむことになる。
人の心はわからない。
僕はもともと他人と触れ合うのが苦手なんだよね……、なのに気を許した人にはすごく甘くなる。😅
一度心を許した人とは深く結ばれたいと思ってしまう、そんな重たい性格だね。
他人が僕の心をどう思ってるかなんて、いくら考えたってわからないよ。
だからこそ「あの人はきっと僕のことをこんな風に思ってるんだ」なんて、自分で決めたらいけないって思ってる。
でもそう思えば思うほど、無意識的に考えてしまう自分もいるんだよね。
人の心は難しい。理解することなんてできない。自分の心も他人の心もね……。😫
人は他人に期待をしている。
人は何かに期待したり、未来を予測したり、「きっとこうなるだろう、こうなってほしいな」って思うことが多々あるんじゃないかな。😳
物や現象に期待を寄せるのはまだラク。結果ですぐに返ってくるし、その期待は結局のところ、自分一人で完結してることばかりだと思うんだ。
でも相手が物じゃなくて人や生き物ならどうだろうか。僕は人に期待をすることを怖いと感じるようになってしまったな……。😩
人から人への期待は怖いもの。
人から人への期待は「他人への押しつけがましい善意と悪意」じゃないかなあって思ってる。
そしてその期待に背かれた時・裏切られた(そう感じてしまう)時、たとえ善意の期待であっても 「なぜ応えてくれないんだ!」「あんなに期待してたのに!」「裏切られた!」……、こんな思いに囚われちゃう。😞
他人に何かを求めたり欲したりすると、望んだものと反対の結果になったときがすごく辛いと思うんだ。
自分の内へ向ければいいような気持ちを、他人へ向けてしまう。自分の中ではなく外に原因を求めてしまう。
人の心はどうしてこうも厄介なのかな。😔
「人は〜」って言い方をしてるけど、こんなのあまり言いたくない「僕の考え方」でしかないよね。それを言い換えてるだけなんだよね。😥
つい最近もこんな風に考えてしまった。自己嫌悪のスパイラルだね……。
脳に支配されるのは辛くて怖い。
たくさん偉そうに語ったけど、はじめに言った通り「人の心はわからない」よね。だから僕以外の人はこんなこと思ってないかもしれない。すべて僕の妄想なのかも。😐
こんなこと考えれば考えるほど、自分が"裏切られて"落ち込むのが情けないし、これを見た人・期待された人も「なんで勝手に落ち込まれないといけないの?」って思う気がする。
堂々巡りで終わりが見えない、気にしないほうがいいんじゃない?わかってるよ。
それなのに落ち込んでる自分が居る……自覚する……、それって本当にすごく辛い。😫😫
自分のことすらわからないのに他人のこと考えるなんて……甘いこと言ってるよね。
何が正解かなんてわからない。
たくさん考えたけど、どうしたら世界がラクになるとかどうしたら得をするとか、そんなのは全然見えてこない。
上手くいかない時は変化を積極的に受け入れてみる。むしろ迎えに行く。そのくらいの気持ちがあってもいいかもしれない。
でもやっぱり怖いんだ。傷つくのが何よりも怖い。
数年間自分の中ではたくさんたくさん傷ついた。大人になって後悔するかもしれない。
でも傷を抉るようなことはもうしたくないよ。もう辛いよ……。
結局のところ……。
このブログは僕の決意表明ではないし、社会への声掛けでも心理的な考察でもない。
ただ僕の思ってることを書き殴っただけ。
そしてだからこそ、今日も明日も僕は何も変わってないんじゃないかな。
偉そうに言い訳するならば、「思春期の前後に形成された人格を、自らの意志で変えることは、もはや至難である」から……ってところ。😌
あーあ、カッコつけたって何もいいことないよ。恥ずかしいやつだね、僕。
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
山川記代香さん”トリーチャーコリンズ症候群”のドキュメンタリー「マスク」
突然ですが……
僕はドキュメンタリーが大好き。😆
特にNHKのドキュメンタリーが好きです。
アスリートの魂とかプロフェッショナル仕事の流儀とか奇跡のレッスンとかですね!😄
特にアスリートの魂は、番組の締めで掛かるテーマ曲やNHKスタッフさんの編集が大好きなんです。
鳥肌が立ちますね!😊
ドキュメンタリーに出演する人は、一般的な職種や環境の人たちとは少し違ったりすることが多いですよね。
スポーツ選手だったり、クリエイターだったり、アーティストだったり。
まあ、そうでもないと新鮮さがないってことかな?それは納得できます。
そして、そんな人たちの本音というか人間らしい部分を、テレビから少し覗かせてもらえてるような感覚が僕は好きなのです。😆
さて、深夜のこと(ついさっき)なのですが、偶然テレビを見るとドキュメンタリー番組が放送されてました。
マスク ~この顔を知ってほしい~
中京テレビ制作のドキュメンタリー。
特徴ある外見で悩む人はたくさんいます。
それだけで厳しい試練を背負わされてしまう彼らが強く生きる姿を通してその理不尽さを考える。
【ナレーター】柏田ユウリ
病気や障害を抱えて生きる人に焦点を当てた番組のようで、山川記代香さんという女性を中心に構成されていました。
「トリーチャーコリンズ症候群」ーー顔の骨が上手く成長しない"5万人に1人"の病気を抱えて生きている方のお話です。
普段だったら、あまり見ないタイプのドキュメンタリーだったかもしれません。
でも今回はなぜか惹かれたんですよね。もしかしたら、三重や愛知といった身近な場所にいる方のお話だったからかも。
「マスク」の意味。
彼女はよく顔にマスクをしてました。それはきっと、女性が風邪でもないのによくやっているあのマスクと同じだと思います。
彼女の姿を見たときに「あぁ、だからマスクをしてるのか。タイトルもそういうことか」とすぐに思いました。
彼女は病気のせいで顔をあまり見せたがらないんですね。これは僕もよくわかります。女性は顔を見せたくないという気持ちがよくわかるのではないでしょうか?
また、「なんて綺麗な女性なんだろう」とも感じました。
髪の毛は美しく手入れをされていて、身だしなみも綺麗で、オシャレが好きな女性らしい女性なんだなという印象です。
失礼かもしれませんが、彼女は「綺麗で可愛らしく、女性としての魅力」を持っていると思います。
言葉にするのは難しいんですが、とにかくスタイルも良くて「綺麗な女性のオーラ」をひと目で感じさせる方です。
もちろんそれに劣らない素晴らしく清らかな心の持ち主でもあるのでしょう。細かな仕草や笑顔も素敵な方でした。
(絵が上手くないですよね、すいません……。😑)
積極的に前へ、自分を変える。
番組を見ていると、彼女が少しずつ変わっていくのが僕にもひしひしと伝わってくるんです。
前向きな彼女の気持ちや行動は、周囲の人々の心を強く動かしていきます。
前へ進み変わるんだという気持ち・パワーが、彼女を支えてくれる人をたくさん作っていくんです。
変わることは怖いことです。でも素晴らしいことだとも感じました。
傲慢かも知れませんが、彼女の生きる様は美しくカッコイイ。
どうしてそんなふうに生きられるの?と、できるなら直接聞きたいです。
まあ、それをコンパクトにして届けてくれるのがドキュメンタリーなのかもしれませんね……。
(テレビで見ただけなのになぜか親近感。😳)
ハンデや障害が僕らを感動させる?
ゲスな話かもしれませんが、「ハンディキャップを持って生きる人」の頑張る姿は、人の心を動かしやすい気がします。
実際に彼女の姿を見て涙を流している方が番組内にもたくさんいました。
しかしそれは誰もがそうあるわけではないと思います。
山川記代香さんのように「強い気持ち」を持つ人の奮闘する姿が、他人の気持ちを動かすのではないでしょうか。
僕は彼女の姿を見て心を動かされました。少なくとも、彼女に影響を受けた人生を生きていくことでしょう。
人生での他人との関わりとは、そういうものかもしれませんね。
(僕の近くにも病気を抱えて生きる人間が居ますが……、まあその話はまた今度に。)
最後に。
長くなってしまいました。
良い番組を見た、素敵な人を知れた。そういう気持ちが溢れて、長く書いてしまいました。
ブログに書いていると、いつか彼女に会って話を聞いてみたいなという気持ちが大きくなってしまいました。
これからも山川記代香さんの活躍を期待しています。またいつかその生き様を見てみたい……そう感じました。
あ、あと番組紹介にある「理不尽さ」というのはあまり感じませんでした。これもまた彼女の強さのおかげでしょうか。それとも僕の心の問題でしょうか?😑
不思議なものですね。彼女はあくまでも一般人ですから、迷惑にならないようにしないといけないですね……。💦💦
山川さん、中京テレビさん、出演者の皆さん、ありがとうございました。
(こういう番組を見て彼女の職場へ会いに行ったりする人いるんでしょうか?いたら少し怖いですよね、想像もできませんが……。)
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
胸の内側のブラックホール。
スマホを持つ右腕が自然と落ちてしまう。
頭を支えられない。
仰向けになると、不安に体を押さえつけられてるよう。
怖くて布団を被ると、布団まで僕を潰そうとしてくる。
まるで胸の内側にブラックホールでもできたみたい。
自分の心の重さが、ドンドン自分を押し潰す。
止まらない。どうしたら止まるんだろう。
(ブラックホールってどうなってるの。)
とにかく内向きに疲れてる。😥
気持ちが自然と自分の中へ引きずり込まれていってる。
僕はこれの直し方をまだ知らない。
知ってたとしても、できない。
ブラックホールって、どうしようもないんだよね?
そんなふうに聞いた気がする。
……こういうときのためにブログ書いてるんだよね。
書けば何か整理できるかもと思ってさ。
小さなことだけど、やらないよりはマシかもって。
小さな抵抗かな。😫
絵、少しは上手くなったかなあ?
まだこのくらいじゃ変わらないかあ。
小さなことの積み重ねが大事……。
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。
はてなブログは僕の何になるのだろう。
ブログを書くのが結構楽しい。
こんな情けない最低の男でも、ネットなら爪痕を残せる。
……爪痕ってほどじゃないかな、シミとか臭いくらいかな。
まあとにかく、誰かが見られるところに僕の想いが書いてある。
それってすごくいいことのように感じる。
僕のブログは何かテーマが決まってるわけじゃない。
無理矢理決めるとしたら……
「テーマの無い人生を彷徨い生きる」ってとこかな。
こういう言葉遊びは嫌いじゃない。
けど、あまり好きでもない。
騙されてるような気になるし、騙したくないから。
人に嫌われるようなこと、好んでしたくないよね。
いつもこんな感じでブログ書いてる。
部屋は暗く、心も暗い。スマホの画面は明るく。
目悪くなりそうだけど、どうだろう?
実は子供の頃から目だけはずっと良いんだよね。
だから平気かも。
ブログってきっと家電とか趣味とか方向性があるんだよね。
でも僕のにはそれがない。
そういうブログを書いてる人はいるのかな。
きっといるよね。でも、見つけにくい気がする。
余所のブログは文体とか書き方に統一性があるのかな?
雑に書いてると、読みにくくなってしまう気がする。
国語の勉強はこういうところで生きるものなのかも……。
そういえば、現代文の勉強は楽しかったね。
理系なのに文系科目のほうが好きだった僕です。
中学の現代文の先生、良い人だった。
まだ僕らのこと覚えててくれた。
あの頃の僕ら、きっと今より輝いてた。
人間は年をとるとどんどん輝きが鈍くなるもの?
それとも、どんどん輝くもの?
どっちなんだろうね。
少なくとも、今からこんなこと言ってる人間は、これからも輝くことはないんじゃないかな。
自分のことはなんとなくわかる。
わかんないことのほうが多いけどね。
とりあえずこのくらい。
今はおしまい。